「行動ターゲティング インターネットCM」は本当に生活者を幸せにするのか?

ヤフー株式会社 「行動ターゲティング インターネットCM」の掲載を開始
http://pr.yahoo.co.jp/release/2008/0115a.html


行動ターゲティング」――ネット上のユーザーの動向・ログを解析することによって、ユーザーの属性を把握し、個々のユーザーが「必要としている」と想定される情報を的確に配信する…というこの試みは、今、もっとも注目させているマーケティング方法のひとつだろう。

しかしながら、「行動ターゲティングをしてるから、ユーザーはこのネットCMを見る」「広告枠のクリック枠も、ブランドの認知度も高まる」といった"行動ターゲティング神話"には、いささか疑問を感じざるを得ない。


YouTubeにアップされたビデオ・インタビュー*1でも答えたが、私は「その日、そのとき、その場所で」を広告作りのキーワードのひとつと考えている。
基本的に、広告は「邪魔者」だ。広告だけではなく、この情報過多な時代において、自分の興味関心領域から外れている情報はすべて邪魔なモノでしかない。


では、広告は不要なのか?――答えは"NO" だ。


どんなに良いモノを作ったとしても、それが買い手に伝わらなければ意味がないし、自分に最適なモノがあるのにその選択肢に気づかなかったらとしたら、その人はアンハッピーだ。


広告の意義は、「企業(モノ)と人(生活者)の架け橋」になることに他ならない。

行動ターゲティングは、「架け橋の最適化」を実現させてくれる魔法のコトバだ。
業界が注目し、期待するのも当然である。


しかしながら、魔法のコトバに踊らされて、本質を見失ってはいけない。



想像してみてほしい。

動画コンテンツを見てる際、途中でいきなりビールのCMが流れてきたら、嬉しいだろうか?
映画の良いシーンで、唐突に旅行代理店のCMが流れてきたら、嬉しいだろうか?


いや、全く嬉しくない。

確かに私はビールが大好きで毎日飲んでいるし、最近旅行代理店の検索をよくしている*2が、動画コンテンツを見ているときに、そんな情報は全く欲しくないのである。

どれくらい嬉しくないかというと、ニコ動の時報並に嬉しくない(断言)。



要は、「行動ターゲティングにより、ターゲット層が"見たそう"な広告コンテンツを"強制的"に配信する」のではなく、「行動ターゲティングにより、ターゲット層が"見たくなる"ような広告コンテンツを"誘導的"に配信する」ギミックを作ってあげない限り、何の問題解決にもならない…ということなんだろう。


どんなにメディアが多様化し、ナレッジが進化したとしても、結局「広告」というものの本質は変わらず「ブランド」と「コンテンツ」なのだと思う。
つまり、メディア・配信方法の最適化と同時に、コンテンツが最適化されて初めて効果を発揮するのだ。



……と、かなり辛口に書きつつも、結構期待してます、ヤフーさん(笑)
(※ちなみに最近興味があるのは「リアル行動ターゲティング」だったりする)

*1:「2008年の広告業界は?」というお題で、「広告系ブロガー新年会」で撮影されたもの。http://jp.youtube.com/kokokukei

*2:現実逃避で、脳内イタリア旅行計画を繰り広げているため