Public/image.METHOD クリエイティブ・カンファレンスに行ってきた。

Public/image主催のクリエイティブ・カンファレンスに行ってきました。

yugopが富野由悠季巨匠と対談すると聞いて、脊髄反射的に申し込んで行ってきたのですが、チケット代4,000円って高くないかと当日寒くてちょっと外に出たくなくなったときに思った(火暴)でも、そのチケット代を無駄にしたくない一心でえいやっと家を出れたので、まあ結果的には良かったです。はい。


途中から行ったので、SESSION3-5までしか見ていていないのですが、十分満腹になりました。
いろいろと面白かったんだけど、とくに印象的だったのは、ふたつの言葉。



辻川幸一郎 × 伊藤直樹のセッションで、LOAD画面のまとめサイトPRETTYLOADEDを見たときの、辻川氏の発言
 「これって、何を目的に作られたんですかね?」


辻川氏はテレビとかスクリーンで映す前提の映像を作るプロの方で、ご自身でも「webはほとんど見ない」とおっしゃってたけど、そんなwebから遠いひとだからこそ出た素朴な疑問。そして、webの本質的な良さをついているなぁと思った。


これに対する伊藤氏の答えは覚えてないけど(たぶん、あんまり納得しなかったからだと思う)、私個人は「愛と善意と認められたい欲求」が目的・・・というか、そのまとめサイトを作っちゃったきっかけなんじゃないかと思ってる。

別にこのサイトに限った話ではなくて、2ちゃんのまとめサイトとかYouTubeのおもしろ動画サイトとかそいうった「再構築」系のものも、ニコニコ動画とかpixivみたいなUGCサイトも、プーペガールとかmixiとかtwitterみたいなコミュニティサービスも、ぜんぶ同じようなモチベーションでまわってるんじゃないかなぁ。

なんというか、「人間はコミュニケーションせざるを得ない動物」であるが故というか。

webはそういう欲求を満たすハードルをものすごく低くしてくれていて、webに親しんでいるひとはその良さを知ってしまっているから、作らずには・コミュニケーションせずにはいられなくなっちゃっているのでは?というのが私の意見。


まあ、自分がそうなだけなんですけどwww
でも、そうじゃなければ、こんなにmixiアメブロも、ニコニコ動画も大きくならなかったんじゃないかなぁ。



中村勇吾 × 富野由悠季のセッションでの、富野氏の金言。
 「物語性のあるものでないと、コミュニティは寄り添わない」


たしか、ストーリーの大切さみたいなものについて話しているときの言葉だったかと。
ズガーンって感じでした、ズガーンって。
(やっぱり、年輪を重ねたプロフェッショナルの言葉って、どうにもあらがえない重みがあるなぁ・・・)


ちなみに、日本列島に住んでいるひとびとにとっての「物語性」の根源は神道天皇制、そしてアミニズムにあるらしい。
そして、物語の享受のされかたは、時代の必然性によって変わるとか。(アトムが戦後復興期の象徴的なヒーローだったように)

もしかしたら、富野さんの意図とか違ってしまうかもしれないんだけど、芸術であろうがエンタメであろうがビジネスであろうが、やっぱりその時代に求められている・フィットしているものでないと、受け入れられないし、続かないってことなんだと思う。
ゴッホが生きているときには1枚しか絵が売れなかったけど、今あれだけ評価されているのも「時代」の問題であって。


ただ、その「時代」の流れが決まったときに、何も考えずに右向け右をするのではなく、「本当に右で良いのか?」「本当は違う流れがあるのでは?」と新しい気づきを投げかけられるひとがプロなんだと思う。富野さんも言ってたけど。
芸術家も、アニメーターも、マーケターも経営者も同じ。



まったくまとまり切っていませんが、ほかにも面白いことはあったのですが、自分の中でいちばん言いたかったことは言えたので終わり。