ブログを書く際の「心構え」的なサムシング

先日書いた「みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?」というエントリに、結構しっかりとしたトラバが来た。
勢いに任せてうわーっと書いたエントリだったため、飛躍や穴がたくさんあり、案の定そのあたりを拾われている感じ。やんわりとdisられてるんだけど、マチルダはドMなので逆に嬉しいっす!…っていうのは嘘で(おい)、「もっとしっかり思考をまとめて、推敲してからアップするべきだったなぁ」とちょっと反省した。

残念ながら、いま、fc2さんが鯖落ちしてるようでトラバエントリが参照できない状態である。トラバ返しのエントリは追々書くとして、良い機会なので今日は私のブログに対する姿勢について書いてみることにする。(完全に余談!)


私は、広告やネット周りのテーマについて、きちんと練られたエントリを上げていきたいと考えている。
なぜなら本ブログは、「マチルダ」という個人の思考・価値観をweb上で発信することで、社会に何かしらのインパクトを生じさせることのできる場にしたい、という想いで開設したブログだからだ。


web上で日記*1をつけるようになって早10年。
テーマも何も考えず、ただ周囲の友だち+αに、日々の徒然をダラダラと発信するだけのエントリを書くのは非常にカンタンだ。
しかし、それはある意味とても無責任で無意味なことで、やはりwebというオープンな場で書く以上、たとえ内容が内輪向けであろうが何であろうが、全世界に見られる可能性があるわけだ。となると、やはりエントリを生み出す側としては、何かしらの気づきやきっかけを与えられるような、ささやかなバリューを出す義務があると思う。
そこで、今年に入ってから「内輪向け日記→SNSmixi)、広告・ネット関連のエントリ→weblogはてなダイアリー)」と使い分け始めた。


「ささやかなバリューを出す」と決めた以上、下手なエントリは書きたくない。だから取り上げるニュースも精査するし、それに対する自分の姿勢の確立、思考の整理はしっかりとしたいし、文章だってそれなりに時間をかけて推敲したい。でも、日々の業務をこなしながら、情報にキャッチアップしてエントリ書いて…というのは、物理的にキツキツだったりする。*2
そんな中、中途半端な状態でエントリを上げてしまって突っ込まれたり、テーマが古くなって書きかけのままお蔵入りになったり、なんとなくグズグズとした状態になることも多い。いま、まさにその状況に陥っていて、2月に入ってからエントリ回数が激減している。


いくら「中身のあるブログを!」と決意して始めたにしろ、そんな些末だコダワリに囚われてエントリアップを躊躇ってたら、意味がないよなぁ…やっぱブログである以上は毎日、最低2日に1回はエントリしたいよなぁ…でもそんなじ時間とれないし…だからといってダラダラとした内容のブログをやるのはなんかなぁ…
なんてグダグダ考えてたら、id:ululunさんがこんなエントリを上げられていた。

勿論無自覚無責任で良いとは思わないし、気をつける必要もあるとは思う。

だがその反面、気を遣いすぎると何も書けなくなってしまうのも事実。

いつも言っている事だけれども、表現とは放たれた瞬間に屍体となって見る者の前に差し出されるものなのだから。

ブログに書くときの心構えは何処まで必要か ―煩悩是道場

この冒頭の一節が、すべてを物語っていると思う。「屍体」というメタファーがほんとうにしっくりくる。
また、後半で特に共感したのが、以下の部分。

私は、過去のエントリをなるべく書いた当時の儘に保存しています。今見ると書き方や言葉の選び取り方に稚拙なものを感じたり、書き直したいですとか削除してしまいたいという衝動にかられる事もありますけれど、余程の事がない限り修正の手は加えないようにしています。勿論パーマネントリンク単位で検索経由で過去の記事に飛んで来て「なにこいつ馬鹿なこと書きやがって」と思われたり「此処で書いてる事とこの記事が矛盾する件について」と突っ込まれる可能性もあると思います。だけど「私は」なるべく残しておきたいのですね。

でも、そうした私のログに対する態度を他者に要求するつもりはない。消そうが修正しようが自由だと思う。

確かに消しても「無かったこと」にはならない。ならないんだけど消してはならないわけでもないし、書いた事に対して考えが変わったときにどのように放ったログと向き合うのかは表現者の手に委ねられているのではないかとも思うので。

ブログに書くときの心構えは何処まで必要か ―煩悩是道場

結局、中身があろうがなかろうが、完成されていようがいまいが、正しかろうが間違っていようが、「日記」だろうが「ブログ」だろうが、書いている]のは「私」に過ぎなくて、エントリーのひとつひとつ、その端々に「いま、この瞬間の私」が刻まれているのだ。
それにバリューがあるかないかを判断するのは、私ではなくて、読者。エントリが読者によって消化されたあと、どんな波が来るのかは誰も分からないし、コントロールもできない。
だとしたら、やはり未熟な状態であっても、それはそれで良しとして世に投げかけてみることの方に価値があるのではないか。ましてや、書いているのは書籍(出版物)ではない。weblogだ。未完成の連なりと進化が価値となるメディアなんだから。

問題なのは、「いま、この瞬間の私」の「発言」に、徹底的に責任を持つ覚悟があるかないか、ということだと思う。
これは別に「下調べ不足で間違ったエントリを書いたらブログやめて責任とります」とか、「今こういう発言をしたので、一生撤回しません」とか、そういった意味での責任じゃない。どちらかというと、アイデンティティの確立とか、他者といかに正しくコミュニケートするかとか、そういう意味での責任だろう。


だからそんなに気負わず、日々琴線に触れた事象について、そのときの言葉を丹念に綴って、向き合っていけばいいだけの話なのだ。


そんな感じで、自分で勝手に上げたハードルを、勝手に下げてみることにしたw
「日々、広告・ネット周りについて感じたこと、意見を、きちんとまとめて、定期的にアップする」という姿勢と、「自分の発言(エントリ)には、徹底的に責任を持つ」という心構えさえ忘れなければ、まあ、もうちょっとフランクに書いても大丈夫だろうと…


とりあえず、当面の課題は、思考を論理的にまとめられないことと、文章が冗長になって論点が曖昧になる悪い癖を克服することですwww
結局「自分のため(思考整理・備忘録・訓練)>社会のため(インパクト)」を逸しきれてないんだよなぁ…

日々、精進。

*1:あえてweblogではなく、「日記」という表現を用いた。

*2:毎日良質なエントリを上げ続けてる百式の田口さんは、ほんとうにすごい…尊敬。