みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?

このところバタバタしていて、すっかり情報収集を怠っていたら、なんとビックリな地雷をハケーンw

著作権管理に革命!コピー機に自動的課金システム

日立製作所、日立システム九州、リコー、ゼンリンの4社は、新聞や出版物などの著作物を複写する際に自動で著作権使用料を課金できる新システムの実証実験に成功した。
 新システムは、個体識別が可能な無線ICタグを装着した著作物を、ICチップ読み取り機能を搭載した複写機でコピーすると自動的に著作権管理センターに使用料が課金される仕組み。出力した複写物には特殊な透かしが入り、2次的複写の際にも課金され、無断転用も防止できる。
 ゼンリンの浦川英明経営企画室部長は「著作権管理に革命を起こすシステム」としている。

いや、もう、思わず「ハケーンw」なんてベタな2ちゃんワードを使っちゃいますよコレは。
どんだけ著作権大好きなんですかって話ですよ。しかも、革命ってwww


私はフリーライド推進派ではないし、むしろコンテンツ制作者にはしかるべき敬意と報酬を支払うべきだと思っている。しかし、コンテンツホルダー著作権管理団体に謎の「著作権使用料」を支払わなきゃいけない現行のシステムには疑問を抱いている。また、「著作権使用料」に縛られて、自分のコンテンツ利用の自由さが奪われるのも納得がいかない。

ひとまず、「コピー機での著作権使用料課金システム」が導入されたと仮定しよう。その結果、書籍の売り上げが伸びるだろうか?複製時に発生知る著作権使用料で、コンテンツ制作者の報酬は保証され、現状より良いものになるのだろうか?
私には、そうは思えない。
少なくとも、「コピーするたびに、コピー代の他にさらにお金がかかる」という状況になった場合、今よりもコピー機を利用する機会は減るだろう。では、コピーしないで書籍を買うかというと、それも違う。まずは、ネットでpdfやレビューを探し、blogで関連エントリーなどを読みあさって、情報収集する。それでもまだ満足の得られない状態だったとしたら、渋々書籍を購入する…というステップを踏むことになると予測する。

上に述べたのは、あくまでも私個人の意見であり、行動パターンである。少々ラディカルすぎる部分があることは重々承知であるが、だが、他のニュートラルなユーザーにとっても当てはまる部分は多々あるだろう。


そもそも、ひとは自分が欲しいものは、何があっても買う。だからこそiTMSをはじめ音楽のネット配信が普及し、それ以上に違法DLの環境が整ってしまっている現在でも、やはりCDは無くならないし、それなりに売れる。売り上げが下がったといっても、今まで「本当に欲しいものではないかもしれないけど、でも他にこのCDを聞く術がないから買ってしまった」という人々が買わなくなっただけで、本当にそのアーティストを愛しているひとたちは変わらず購入しつづけている訳だから、真の意味での「売り上げ」に近づいただけに過ぎない。

「でも、コピーされつづけたら、ビジネスモデルが崩れて生計が立てられなくなるじゃないか」
それはごもっともなご反論。しかし、コンテンツのデジタル化が進み、インフラも整備され、カンタンに良質な複製ができるようになった今、ユーザーにとっては、本当に欲しいもの以外はコピーで十分なのだ。これはもう変えられない事実として存在している。そこで、やっきになって「著作権保護」やら「違法コピー禁止」なんて言うのはナンセンスだし、むしろ大きな「リスク」をわざわざ背負いにいっているとしか思えない。


私が考える「リスク」とは、著作権保護のためのコピー規制によりコンテンツの流通路が閉塞し、情報網が分断化され、結果的には社会のイノベーションを抑制してしまうのではないかという懸念である。


単純な例をあげよう。
大学生Aが、課題レポートの資料を探しに書店へ行ったとする。5冊良さそうな文献があったが、予算の関係上2冊しか購入できなかった。残りの書籍を借りるために図書館へ行ったとする。購入できなかった3冊の文献の他に、10冊ほど良い文献を見つけた。しかし、13冊も持ち帰れないから、必要部分だけをコピーして帰ろうと思い、コピー機に向かう。しかし、文献の複製には1ページあたりコピー代+20円のコストがかかる。3冊の書籍を買った今、一部のコピーのためにさらなる投資をする余裕はない。そこにコストを支払うくらいなら、ネットで適当な関連エントリーを漁った方がコストも効率も良い。結果、大学生Aは3冊だけ借りて帰り、書店で買った2冊と合わせ、合計5冊の書籍とネットで検索した情報で課題レポートを書きあげた。
常識の範囲で想像できうる、至極一般的なストーリーだと思う。
さて、ここで何が問題なのか――「図書館で見つけた10冊の文献に触れる機会を、著作権使用料がネックとなり失ったこと」である。
もしかすると、その10冊の中に大学生Aに新しい視点をあたえるきっかけになるような情報が潜んでいたかもしれない。その視点が、単に良質なレポートを書くことにとどまらず、Aの人生を変えてしまうようなものだったかもしれない。そしてその視点に出逢っていれば、Aは社会を変革するようなアイディアを創造し、イノベーションを起こしていたかも知れないのだ。

つまり、権利を守るために複製を規制することは、情報の伝達スケールおよびスピードを規制し、イノベーションの機会を搾取しかねないわけだ。インターネットが生まれて、せっかくボーダーレスかつハイスピードな情報共有体制が整いつつあるというのに、その上に流すコンテンツを縛っていては、何もはじまらないではないか。
30年前ならそれで良かったのかも知れない。でも、今の時代は違うということを、もう少し意識すべきだ。


そして、もっと根本的な問題は、そういったフリーでエキサイティングな世界を実現するためのモデルが、現行モデルとの緩衝やらチキりやらで、一向に進んでいないことなのだと思う…

適法マーク」なんてイミフなものまで出来ちゃったみたいだし、これ、どうなることやら…


たぶん、本当に聡いオウエのひとは、パラダイムシフトに気づきながらどうすることもできなくて、こんな既得権益バンザイな施策しか取れなくてヤキモキしてるんじゃないかなぁ。そうだといいなぁ。