じだらくさんのブロガーランチに立候補して、参加してみた

去る27日、じだらくのアイカワさんとブロガーランチをしてきた。
しかも、ひょんなことからLife2.0のうめさんも一緒に。

で、何を話してきたかというと、ニコ厨なマチルダと、「ニコ動プランナー」のうめさんが揃ってしまえば当然、ニコ動の話題が中心になるわけでw(詳細はアイカワさんのエントリーを参照してください)
真剣にアイマスMADの良さを語るニコ厨ふたり(もちろんプレミアム会員)に、アイカワさんから鋭い問いがひとつ。

「ところでおふたりは、テレビっ子でしたか?」


「いや、テレビっ子じゃないですね」と即答したものの、よくよく考えれば「今」テレビっ子じゃないだけで、インターネットと出会う前―それこそ幼稚園、小学生時代はまだテレビを見ていたように思う。
もとから活字中毒で書籍の方が好きだったり、また家庭の方針でお笑い・バラエティ番組はあまり見させてもらえなかったりしたものの、家に帰ればテレビをつけていたし、友達ともテレビの話で盛り上がっていた気がする。
しかし、中学1年の春、インターネットに出会って生活が激変した。テレビはほとんど見なくなった。見たとしてもニュースか音楽番組(それも好きなアーティストが出る回のみ)か映画の地上波放送か。つまり、「だらだらとテレビを見る」という習慣が消えたのだ。その代わりに、「だらだらとネットをする」という習慣が生まれた。

このふたつの習慣、「だらだら」していることには変わりないが、圧倒的に違う点がある。受動的にだらだらするか、能動的にだらだらするか、というスタンスの問題である。同じ「だらだら」でも、受動的なテレビよりも能動的なネットの方が同じ時間に同じだけだらだらしていたとしても、最終的に得られる情報量は圧倒的に多い。しかもwebサイトやら掲示板やらチャットやらで、遠く見知らぬ、でも共通点を持つ人々とコミュニケーションが取れ、そこからさらに世界は広がっていく。この面白さを知ってしまうと、もう受動的にだらだらする世界には戻れない。

メディアとしてのテレビは、時間と場所と身体を拘束する。自分のライフスタイルに合わせてカスタマイズすることを良しとしない。これは、インターネットが存在し、ひとびとのライフスタイルが多様化した現代にマッチしているといえるのだろうか?あまつさえ、「デジタル・ネイティブ」なんてコトバが生まれ、その種の人間が日々生まれ続けているというのに。


私は、コンテンツとしてのテレビ(番組)がつまらないとは思っていない。*1しかし、メディアとしてのテレビは現状のままだとそろそろ限界なんじゃないかなぁ…と思っている。たとえどんなにクオリティの高いコンテンツを作ってテレビで流したとしても、テレビで見る人よりもネット上で見る人の方が多くなる時代が、すぐそこまで来ているんじゃないだろうか。


何はともあれ、コミュニケーションの仕事に従事する身としては、「面白い世の中になってきたなぁ」としみじみ思うわけで。この変化を「絶望」と捉えるか、「好機」と捉えるかで、コミュニケーションビジネスの明日が決まる。願わくば、全員が後者となり革新を目指すフェーズに早く行きたいものだ。。。
でないと、ほんとうに間に合わなくなる。

*1:まあ、昔の番組の方がクオリティ高くて面白いし、YouTubeで初期のガキ使とか見てるけど、それは好みの問題としておいて置くことにする。