タカヒロさんとさとなおさんと「空気」と「良い広告」にまつわる徒然

先日、タカヒロさんと、さとなおさんと飲む機会があった。
おふたりが集まる場にたまたま呼んでいただいたのだが、夏の暑さにダラけた頭に冷水をぶっかけられたような感覚を受けた。

盛り上がった話題については、タカヒロさんのエントリーのとおり。
ブランドの話。検索連動型広告は"広告"じゃないという話。そして「空気」の話。



「空気」の話は、「広告」というか「コミュニケーション」ってものの本質な気がする。

私は「空気」というのは、「商品・サービスのことがなんとなく気になっていたり、買いたくなっていたりする状態」のことだと考えている。「明日の広告」にならって、恋愛になぞらえるならば、「なんか彼女ほしいかも」という状態のことだといえるのではないだろうか。(あまり深く突っ込んで聞かなかったので、さとなおさんとは異なる捉えかたをしているかもしれない)
空気が形成されていなければ、どんなにテレビCMを流しても覚えてもらえないし、POPを貼りまくって販促しかけても目に留まらないし、それこそ検索だってしない。
「なんとなく気になっている」状態のときに、「自分が気になりそうなもの」があることを「伝えて」あげるのが、所謂マス広告の役割で、「気になったものについてもっと知りたい」と思ったときに「いくつかの選択肢を提供して」あげるのが、検索連動型広告なんだと思う。

となると、クライアントの商品を生活者に買ってもらうためには、まず最初に「空気」をつくる必要がある。この「空気」を作ることから「実際に買ってもらう」ところまでをトータルで設計・実施しなければならないわけである。いま、広告会社に求められ始めているのは、まさにこういったワンストップ・ソリューション的なものであろう。しかし、それを実現するためには、従来の「広告ビジネス」の枠組からジャンプする必要があるのではないだろうか。言葉で表現するなら、「コミュニケーションビジネス」の次元までジャンプする・・・というところだろうか。

まあ、言葉遊びはともかくとして、既存の枠組みやステレオタイプにとらわれず、クライアントのために、生活者のために、ひとのために、日々視野を広く持って柔軟にアイディアを生み出し、「良い広告」を作ってバリューを出していくことが我々広告業界従事者のミッションなのだと、改めて痛感した。


しかし、そもそもの「良い広告」「良いコミュニケーション」とは何なのだろうか?

上記のように、常に偉そうにあーだこーだ言っている私だが、正直まだ明確に語れる「広告論」「コミュニケーション論」はない。まだまだ経験が浅いのだから仕方ない、という見方もあるかもしれないが、そういう問題ではない。それをないがしろにするから、本質じゃない瑣末なことに囚われて止まってしまうのだろう。

個人的には、漠然とではあるが「企業(商品・サービス)と生活者を適切につないで、ハッピーな世の中をつくること」が広告・コミュニケーションのミッションだと考えている。しかし、私の場合ものすごく身近な「世の中」を想定していて、端的に言うと「家族や友人、自分の周りの好きなひとびとがハッピーな世の中」を中心に考えている。まあ、それも「世の中」の一部であるし、一部さえ幸せにできない広告が世の中すべてを幸せにできるとは思えないので、あえて身近なレベルに引き下げて考えるようにしている。

一方、さとなおさんの広告の定義はとても俯瞰的な視点からのもので、「世の中に対してい新しい価値観を与えるプラットフォームとなるのが広告であり、それこそが広告の醍醐味だ」とおっしゃられていた。なるほど確かにそういった見方もあるなぁ、と脳みそがぐるっと回転するような感覚を得た。


要は、ミクロ視点とマクロ視点のバランスをとって、「自分的広告論」を日々積み重ねていくものなのだな、と思った次第である。


タカヒロさん、さとなおさんの様に、業界全体の底上げに注力してくださる先輩方に感謝しつつ、それを引き継いでいく若手がしっかりしないでどうする、と克己した夜であった。
瑣末なことに管まいてデモチするなんて、ナンセンス極まりない。