「餃子の王将」オフをしたよ。

去る5月20日(水)、「餃子の王将オフ会@水道橋店」を開催しました!

発端となったのは、5月14日(水)の「とくダネ!」でやってた王将特集。それをリアルタイムで見ていたカイさんとpinkmac(いまはninpumac)と「王将いきてーーーーーー!!」とtwitterで盛り上がって、最初のポストから10分ぐらいでオフ会開催が決まりましたwww
(こういうとき、twitterのリアルタイム性の面白さを強く感じますね)

【告知】餃子の王将オフ【5/20】 -カイ士伝


開催2日前?とかの告知だったにもかかわらず、当日は20人くらい?の方々が集まってしまい(予定数オーバー)、「どんだけ王将好きなんだみんな…!」って感じでしたが、いや、美味しかったです。餃子。

   


集まった中にはもちろん知り合いは何人かいたのですが(むしろ、想定外に元インターン先の社長が来ていてテンパったくらい)、初めましてな方の方が多くて、ひっさびさに「オフ会や〜〜!!」って感じでした。
でも、不思議と繋がりがあったり、共鳴する部分あったり、やっぱりオフ会って面白いなぁと再感。


あと、今回のオフはtwitterが発端で始まったんだけど、やっぱりブログとかメッセとか、一昔前だったら掲示板とかでオフ会が立ち上がるスピードよりも断然速かったし、広がりも大きかった。
ひとりのなんとなしの発言を受けて、数分のうちに賛同するヒトがリプライして、対面しているときと同じくらいのスピードでサクサク会話が進んで、決まっていく。告知したら、ものすごいスピードでひとが集まってくる。

まあ、今回は幹事のカイさんのスピード感(もともと行動に移すのが速い方なので)であったり、集まったひとでtwitter閲覧時間が平均より長いタイプ(常時クライアントとかでTLを追っているタイプ)が多かったりと、他の要素の影響も大きいんだけど、それにしてもtwitterはコミュニケーションのスピードが速いと思ったのです。(まあ、質の話は置いといて)


なにはともあれ、王将★初体験、おいしかった&楽しかった!!ということですw

カイさん、幹事ありがとうです!pinkmacさん、無事お会いできてよかったです!
参加されたみなさま、ありがとうございました!!!!


参加された方のエントリー>>>
「餃子の王将オフ」開催しました -カイ士伝
38w2d - 臨月でも自重しないニンプマック、王将へ行く
王将餃子オフに言ってきました -これからゆっくり考L
「餃子の王将」食べ放題・飲み放題2,500円は、餃子2人前が精一杯 -本質思考道場

Public/image.METHOD クリエイティブ・カンファレンスに行ってきた。

Public/image主催のクリエイティブ・カンファレンスに行ってきました。

yugopが富野由悠季巨匠と対談すると聞いて、脊髄反射的に申し込んで行ってきたのですが、チケット代4,000円って高くないかと当日寒くてちょっと外に出たくなくなったときに思った(火暴)でも、そのチケット代を無駄にしたくない一心でえいやっと家を出れたので、まあ結果的には良かったです。はい。


途中から行ったので、SESSION3-5までしか見ていていないのですが、十分満腹になりました。
いろいろと面白かったんだけど、とくに印象的だったのは、ふたつの言葉。



辻川幸一郎 × 伊藤直樹のセッションで、LOAD画面のまとめサイトPRETTYLOADEDを見たときの、辻川氏の発言
 「これって、何を目的に作られたんですかね?」


辻川氏はテレビとかスクリーンで映す前提の映像を作るプロの方で、ご自身でも「webはほとんど見ない」とおっしゃってたけど、そんなwebから遠いひとだからこそ出た素朴な疑問。そして、webの本質的な良さをついているなぁと思った。


これに対する伊藤氏の答えは覚えてないけど(たぶん、あんまり納得しなかったからだと思う)、私個人は「愛と善意と認められたい欲求」が目的・・・というか、そのまとめサイトを作っちゃったきっかけなんじゃないかと思ってる。

別にこのサイトに限った話ではなくて、2ちゃんのまとめサイトとかYouTubeのおもしろ動画サイトとかそいうった「再構築」系のものも、ニコニコ動画とかpixivみたいなUGCサイトも、プーペガールとかmixiとかtwitterみたいなコミュニティサービスも、ぜんぶ同じようなモチベーションでまわってるんじゃないかなぁ。

なんというか、「人間はコミュニケーションせざるを得ない動物」であるが故というか。

webはそういう欲求を満たすハードルをものすごく低くしてくれていて、webに親しんでいるひとはその良さを知ってしまっているから、作らずには・コミュニケーションせずにはいられなくなっちゃっているのでは?というのが私の意見。


まあ、自分がそうなだけなんですけどwww
でも、そうじゃなければ、こんなにmixiアメブロも、ニコニコ動画も大きくならなかったんじゃないかなぁ。



中村勇吾 × 富野由悠季のセッションでの、富野氏の金言。
 「物語性のあるものでないと、コミュニティは寄り添わない」


たしか、ストーリーの大切さみたいなものについて話しているときの言葉だったかと。
ズガーンって感じでした、ズガーンって。
(やっぱり、年輪を重ねたプロフェッショナルの言葉って、どうにもあらがえない重みがあるなぁ・・・)


ちなみに、日本列島に住んでいるひとびとにとっての「物語性」の根源は神道天皇制、そしてアミニズムにあるらしい。
そして、物語の享受のされかたは、時代の必然性によって変わるとか。(アトムが戦後復興期の象徴的なヒーローだったように)

もしかしたら、富野さんの意図とか違ってしまうかもしれないんだけど、芸術であろうがエンタメであろうがビジネスであろうが、やっぱりその時代に求められている・フィットしているものでないと、受け入れられないし、続かないってことなんだと思う。
ゴッホが生きているときには1枚しか絵が売れなかったけど、今あれだけ評価されているのも「時代」の問題であって。


ただ、その「時代」の流れが決まったときに、何も考えずに右向け右をするのではなく、「本当に右で良いのか?」「本当は違う流れがあるのでは?」と新しい気づきを投げかけられるひとがプロなんだと思う。富野さんも言ってたけど。
芸術家も、アニメーターも、マーケターも経営者も同じ。



まったくまとまり切っていませんが、ほかにも面白いことはあったのですが、自分の中でいちばん言いたかったことは言えたので終わり。

のらりくらりと再開します。


お久しぶりです。マチルダです。

かれこれ9ヶ月ほど放置していた弊ブログですが(幾度となく「書けYO!」と言われたこともありますが)、何となく気が向いたので再会しようかなぁと思います。
ただ、前みたいにちょっとお堅い感じで書くのにけっこう疲れてしまったのでw、こんな感じで、ゆるゆるっと徒然思うことを書いていきたいと思います。


ちなみに、最近のブームはフラッシュモブです。
たのしそう。純粋にやってみたいなー。

ケータイに関するアンケートのお願い!

以前のエントリーでも書きましたが、mixbeatというsmashmedia河野さん主催の私塾に参加しはじめました。

その来月9月のワークショップで、「ケータイ年表」の作成を行います。
具体的には、1)各キャリアの施策(新機能投入、新プラン投入、キャンペーンなど)と、2)生活者のケータイ遍歴(キャリア・機種変更)のふたつのデータをクロスして読み解く・・・ということにチャレンジしています。
詳細はコチラのmixbeat活動報告ブログをごらんください。


そこで、2)生活者のケータイ遍歴を調べるために、いま、塾生総動員で「携帯電話に関するアンケート」を行っているのですが、できるだけ多くのデータを集めたいので、本ブログをお読みの皆様にも、是非アンケートにご協力いただきたいのです。
期限は9月3日(水)とあと3日程度しかないのですが、5分もあれば十分に終わる簡単なアンケートなので、是非ご協力お願いいたします!

  • webアンケートフォームはコチラ
  • word版アンケートはコチラ(※メールでご返送ください)


なお、アンケート結果、ワークショップの結果については、活動報告ブログの方にアップしてまいります。
ワークショップ後のフィードバックも随時受け付けてまいりますので、そちらもどうぞ宜しくお願いいたします!

タカヒロさんとさとなおさんと「空気」と「良い広告」にまつわる徒然

先日、タカヒロさんと、さとなおさんと飲む機会があった。
おふたりが集まる場にたまたま呼んでいただいたのだが、夏の暑さにダラけた頭に冷水をぶっかけられたような感覚を受けた。

盛り上がった話題については、タカヒロさんのエントリーのとおり。
ブランドの話。検索連動型広告は"広告"じゃないという話。そして「空気」の話。



「空気」の話は、「広告」というか「コミュニケーション」ってものの本質な気がする。

私は「空気」というのは、「商品・サービスのことがなんとなく気になっていたり、買いたくなっていたりする状態」のことだと考えている。「明日の広告」にならって、恋愛になぞらえるならば、「なんか彼女ほしいかも」という状態のことだといえるのではないだろうか。(あまり深く突っ込んで聞かなかったので、さとなおさんとは異なる捉えかたをしているかもしれない)
空気が形成されていなければ、どんなにテレビCMを流しても覚えてもらえないし、POPを貼りまくって販促しかけても目に留まらないし、それこそ検索だってしない。
「なんとなく気になっている」状態のときに、「自分が気になりそうなもの」があることを「伝えて」あげるのが、所謂マス広告の役割で、「気になったものについてもっと知りたい」と思ったときに「いくつかの選択肢を提供して」あげるのが、検索連動型広告なんだと思う。

となると、クライアントの商品を生活者に買ってもらうためには、まず最初に「空気」をつくる必要がある。この「空気」を作ることから「実際に買ってもらう」ところまでをトータルで設計・実施しなければならないわけである。いま、広告会社に求められ始めているのは、まさにこういったワンストップ・ソリューション的なものであろう。しかし、それを実現するためには、従来の「広告ビジネス」の枠組からジャンプする必要があるのではないだろうか。言葉で表現するなら、「コミュニケーションビジネス」の次元までジャンプする・・・というところだろうか。

まあ、言葉遊びはともかくとして、既存の枠組みやステレオタイプにとらわれず、クライアントのために、生活者のために、ひとのために、日々視野を広く持って柔軟にアイディアを生み出し、「良い広告」を作ってバリューを出していくことが我々広告業界従事者のミッションなのだと、改めて痛感した。


しかし、そもそもの「良い広告」「良いコミュニケーション」とは何なのだろうか?

上記のように、常に偉そうにあーだこーだ言っている私だが、正直まだ明確に語れる「広告論」「コミュニケーション論」はない。まだまだ経験が浅いのだから仕方ない、という見方もあるかもしれないが、そういう問題ではない。それをないがしろにするから、本質じゃない瑣末なことに囚われて止まってしまうのだろう。

個人的には、漠然とではあるが「企業(商品・サービス)と生活者を適切につないで、ハッピーな世の中をつくること」が広告・コミュニケーションのミッションだと考えている。しかし、私の場合ものすごく身近な「世の中」を想定していて、端的に言うと「家族や友人、自分の周りの好きなひとびとがハッピーな世の中」を中心に考えている。まあ、それも「世の中」の一部であるし、一部さえ幸せにできない広告が世の中すべてを幸せにできるとは思えないので、あえて身近なレベルに引き下げて考えるようにしている。

一方、さとなおさんの広告の定義はとても俯瞰的な視点からのもので、「世の中に対してい新しい価値観を与えるプラットフォームとなるのが広告であり、それこそが広告の醍醐味だ」とおっしゃられていた。なるほど確かにそういった見方もあるなぁ、と脳みそがぐるっと回転するような感覚を得た。


要は、ミクロ視点とマクロ視点のバランスをとって、「自分的広告論」を日々積み重ねていくものなのだな、と思った次第である。


タカヒロさん、さとなおさんの様に、業界全体の底上げに注力してくださる先輩方に感謝しつつ、それを引き継いでいく若手がしっかりしないでどうする、と克己した夜であった。
瑣末なことに管まいてデモチするなんて、ナンセンス極まりない。

「広告系総会(夏)」に参加してきた

去る11日金曜日、雨上がりの品川の夜空のした開催された「広告系総会(夏)」に参加してきた。

タカヒロさん、広告会議さん、カワムラさん主宰の広告系イベント第2回。
諸般の事情で最後30分程度の参加となってしまったため、お世話になっているかたにご挨拶するのが精一杯で、「あたらしい出会い」や「深い話」が出来なかったのが非常に残念だった。しかし、150人もの「広告好き」が一斉に集まる場に自分が存在し、熱気を共有できただけでも刺激になったので良かったと思う。

…と思いきや、ちゃんと思い返せばトライバルメディアハウス池田さんにいきなり「ファンです!」と迫ったり、マイネット上原さんiPhoneいじらせてもらって「やっぱりiPhone nanoの方がウケるんじゃないですかね?」と偉そうに話したり、なんかいろいろしていたっぽいw 二次会行って朝まで飲んだし。うん、十分参加してるwww

幹事の皆様、参加された皆様、ご挨拶させていただいた皆様、そして最後まで飲んでいた皆様、お疲れ様でした&ありがとうございました!




拙ブログを開設したひとつのきっかけとなった「幻の新年会」から半年もたったのかと思うと、すこし感慨深い気分になったり、時の流れの速さに驚くと同時に、なんだか複雑な気分になったりする。


個人的な話になるが、4月から自分を取り巻く環境が大きく変化した。新しい環境には、それなりの希望と「やったるZE!」という野望をもって飛び込んだ。1月の新年会やその後のスピンオフ会では、その意気込みを鼻息荒く話していたと思う。
しかし、実際はどうであろう。何も成し遂げていないし、そもそも野望のスタートラインにすら立てていない。理想と現実のギャップの大きさに、また周りの雰囲気に流されて、デモチベーションすらしている。なんだ、この体たらくは。
まあ、自分が踏みとどまっている理由は分かっているし、なんとかできる部分はなんとかしようと思って動き出してはいるんだけど、それでもやっぱり足りないなぁ…と思う。

今回の広告系総会(夏)のようなイベントに行くと、大人数だし、有名だったり優秀だったりするひとがそれなりの人数いるわけだから、ちょっとした上昇気流みたいなものを疑似体験することができる。しかし、なんとなくその場に「居る」だけで自分も上昇気流に乗っていると思ったら、それは大きな間違いだ。
私個人は、この「広告系」イベントは「動き出すきっかけを掴み、実際に動き出すための会」だと思っている。決して「馴れ合い」の場ではない。たしかに自分が勤めている企業など近場に同じ志を持つ仲間がいないひとにとっては「仲間探し」の場所になるだろうし、それは間違っていないと思う。実際に私も多くの仲間と出会い、刺激をもらっている。でも、問題はそこからで、ただ業界を憂いて理想を語るだけの仲間だったら、居ない方が良いと思う。1月の参加者で、どれだけのひとが、何か新しいアクションを起こしただろう。自分で起こさない(起こせない)にしろ、新しいアクションを生み出すきっかけを作るなり助けを作るなり、ちょっとした行動でも構わない。自信を持って「俺はこんなアクションを起こして、こんな結果を出した」といえるひとは、どのくらい居るのだろうか。

とまあ偉そうに書いているが、そもそもの私がそんなにアクションを起こしていないわけで、正直このエントリは自戒の念を込めて書いている。周りに引きずられてデモチするなんて、どんだけ意志が弱いんだと。お前あれだけ偉そうに理想語ったんだから、責任持ってやれよと。



いまふと思ったのだが、この広告系イベント、なんだかビットバレーの事例との相似点が多い気がする。
そう考えると、巨大化は避けるべきなのかもしれない。結局はパレートの法則に則って居るんだろうけど。

次回1月の総会では、さまざまなアクションの結果や種の話ができるよう、自己研鑽していきたいものです。

ニコ厨と権利者が対等になったとき、はたして権利者は「動画削除申し立て」できるのか?

動画コミュニティサービス「ニコニコ動画」において、社団法人日本映像ソフト協会などの会員が持つ著作権を侵害した動画が削除された。権利者団体の要請に基づくもので、MADと呼ばれる二次創作作品も含まれる。
ニコニコ動画、映画やアニメの二次創作作品を削除へ--日本映像ソフト協会らの要請で -CNET

ニュースが流れてから5日。私のマイリスはいまのところそんなに被害は受けていないので実感はないのだが、実際にニコニコ動画から大量にMADが削除されているらしく、下記のように動画でデモ活動も行われている。
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また、先日の「ニコニコ大会議2008」の質疑応答コーナーでMAD削除問題を指摘した女性が「MAD美人」として君臨してしまう事件が起きたりと、まあ世の中のニコ厨の関心は「MAD削除反対!MADマンセー!」のようである。かくいう私もいちニコ厨、MADファンとして悲しく思うのと同時に、コンテンツ業界のイノベーションスピードがますます落ちる(むしろ衰退する)のでは…とビジネス視点で一抹の不安も覚えていた。


しかし、動画削除の仕様変更ニュースを見て、少し観点が変わった。
おそらく、いままで以上に権利者は動画削除申し立てをしづらくなるのではないかと、私は思う。

ニコニコユーザーの皆様へお知らせです。

動画削除時の仕様について、要望掲示板などで様々な要望を頂いておりましたが、『権利者申し立てによる動画削除の場合、権利者名を表示する機能』を、7月5日午後に実装を予定しています。
動画削除時の仕様変更について −ニコニコニュース

つまり、ニコ厨にとっての「悪者(権利者・削除申立者)」が明文化されるようになり、ユーザーと権利者が対等の立場になったということである。

いままでは動画が削除されても、誰のせいで削除されたかは分からなかった。ユーザーは「くそーカスラックめ!」「Fテレビめ!」なーんて騒ぎつつも、実際に削除申し立てをした権利者を特定することは不可能であったため怒りをぶつける対象が定まらず、負のエネルギーはなんとなく拡散されていたと思われる。
しかし、今回の仕様変更により権利者名が明文化されれば、ユーザーが負のエネルギーをぶつける対象は特定されるため、削除申し立てをした権利者はその攻撃をダイレクトに受けることになるだろう。

たしかにコンテンツの権利を持っているのは権利者であり、権利者がコンテンツを作らない限りユーザーはそれを享受できずに不利益を被ることになるが、その一方で、ユーザーが見て・利用してくれなければコンテンツ権利者は「商売あがったり」状態になるのではないだろうか。


己の利権を死守してユーザーの反感を買うのと、己の権利を多少捨ててもユーザーの支持を維持するのと、どちらが中長期的に見て収益性と革新性が高いのだろうか。
もちろん、悪意のあるコンテンツ利用は制裁すべきではあるが、なんでもかんでも勝手に使ったら削除!という姿勢はいかがなものだろうか。各権利者は、コンテンツ利用者の意図と、その波及効果、期待される利益、そしてイノベーションの可能性などを正しく見極めた上で行動したほうが賢いのではないだろうか。


ニコニコ動画に限っていうなら、

…ってモデルがしっくりくると個人的には考えているのだが、いかがなものだろう。
そうすれば、グレーな部分がクリアになって二次創作市場も盛り上がるだろうし、二次創作市場が盛り上がればコンテンツ市場も盛り上がるだろうし、それなりにwin-winだと思うのだが。


まあ、これは比較的偏ったコンテンツ産業(二次創作による市場拡大が見込めるもの)に限ったモデルなので、全てのコンテンツ産業に当てはまるとは言わない。しかし、根本に流れる思想は全ての産業に適応できるものではないだろうか。